ろくでなしにも春が来る

これでもかと言う

南天だらけだ

嫌だった

 

わたしは全てを忘れてしまう

 

軒下の大根は年の終りに首吊りをする

ろくでなしにも春が来る

 

 

 

よくわからないまま詩の朗読をしている。詩のテキスト(一般的にいう詩)と詩情とはとおいところに存在していて、わたしは詩そのものよりも、むねをえぐるような詩情がすきだ。前から何度も言っているけれど詩人は詩なんか書かない。夕陽のほうがよっぽとの詩人だ。それはそうと、詩のテキストと朗読された詩では、詩情の変性がみられる。イラストや映像がついたらまたさらに変性する。詩と詩情の最適化についてかんがえている。